いま多くの中学生たちが、夢や憧れを抱けずにいるといいます。
何回かご縁があって、中学校で講演をさせていただく機会がありました。
そこで校長先生をはじめ先生方、生徒のみなさんのお話をお伺いすると、自分に対してあきらめてしまっているそんな中学生たちが少なくないことに愕然としてしまいました。
大半の中学生たちは、自分への自信など皆無で、ただ成り行きのまま惰性で日々を過ごしているというのです。
もちろん、僕が中学生のころ夢や希望にあふれていたかといえば、そんなことはありませんでした。
確かにいま、天才ジュニア達が活躍しています。
僕が子どもの頃の一桁くらい多くの子どもたちが、世界を舞台に活躍しているといっても過言ではないでしょう。
その一方で、「自分なんて……」と思っている子がその大半らしいのです。
格差社会が広がっているといわれているが、中学生たちの夢の格差もそれ以上に広がっているのでしょうか。
ほとんどの普通の中学生たちが、夢見ることを忘れたままで、ほおっておかれているというのが現状なのだとしたら残念なことです。
しかし、実際には、いまの普通の中学生たちは、夢から見放されているといっても過言ではないのかもしれません。
スーパージュニアたちだけが脚光を浴び、それ以外の中学生たちはどんどん夢も希望も自信も失っているのです。
姿形がいい、そんな美男美女の中学生たち。頭がよく、成績もいい、そんな秀才中学生たち。
我が道を迷いなく進んでいっている迷いなき中学生たち。
しかしながら、その中に入ることができない大半の普通の中学生たちは、自分の普通さをなんの疑問もなく受け入れ、あきらめてしまっているのかもしれません。
才能がないから、お金がないから、ルックスがよくないから、勉強ができないから、スポーツができないから。
ないものと、できないことの山積みのなかで、「そんなことないよ!」といってあげる大人は残念ながらただのひとりもいないのでしょうか。
中学生の彼ら、彼女たちは自分自身のことをなにもない空っぽな存在とあきめているのかもしれません。
いまは空っぽでもいいではないか。最初から能力に満ちた人間などそうそういるはずもないと僕は思うのです。
それに、いまは空っぽだからこそ、その空白を埋めるという自由とチャンスが底に待っています。
そして、たとえ空っぽでも、時間という得がたい、けれど誰もに等しく与えられた才能をすべての中学生たちは持っているのではないでしょうか。
経済的に恵まれていないとしても、それであきらめてしまうのはもったいない。
例えば新聞配達の時給が1,100円。これを毎日2時間続けるとします。
1,100円×2時間×週に7日×4週=61,600円。
年5%の複利で積み立てていくと中学3年間で200万円を優に越えるのです。
高校卒業まで続ければ、なんと約450万円です。
これだけのお金があれば海外留学も自費で可能でしょう。
仮にこれを20代後半まで15年間続ければ、たとえ金利がゼロであっても1,000万円以上になります。
立派な独立開業資金になるのではないでしょうか。
なにをやったらいいのかわからないという中学生は、とりあえず村上龍の『13歳のハローワーク』を読むことからはじめてもらってはいかがでしょうか。
そこには、「えっ、こんな職業があるんだ!?」という驚きと発見と、未来への希望が満ちています。
空っぽとは、なにもないことではありません。
なにもない、その空っぽというパンドラの箱に最後に残ったのは希望です。
すべての中学生には時間がある。その時間を使ってなにをしようと考えるくらい夢にあふれることはありません。
自分がワクワクできることをすればそれでいい。ご飯を食べるのも、遊ぶのも、なにもかも忘れて、夢中になれることをやればそれでいいのです。
それがゲームなら、それでもいい。
僕が子どもの頃、漫画を読んでいると「馬鹿になる」といわれたものです。
しかし、いま漫画は、アニメを含め、日本が世界に誇る文化であり、一大産業であり、人々を元気づけ、勇気づけ、震い立たせるかけがえのない精神資産にさえなっています。
僕はすべての中学生達にこう言いたい。
「夢中な時間が君達中学生の未来を創ってくれる。
空っぽな君という箱になにを入れるか。
それは、君が、君と君の時間で決めること。
空っぽ、それはなにもないことではなく、無限の夢や可能性を詰め込めるどこまでもでっかい箱なんだよ。
君はその誰よりも大きな箱なんだから」
それは、僕自身が残念な中学生時代を過ごしてしまった、その後悔からでた取り返しのつかない反省であることももちろんいっておかなければならないでしょう。
こう書いてきて、この僕自身が、もう一度中学生に戻りたくなってしまいました。
そう、普通の中学生こそ、すべての大人達にとって憧れの存在といっても過言ではないのです。
そして、そのことに自分が中学生だったころ気づけなかった僕らシニア達が、いまの中学生達に気づかせてあげることくらいはきっとできるはずです。
「君もきっと天才になれるはずだ!」と。